「桐生ちゃん、パスワードおしえて」
居間に置きっぱなしだった桐生の携帯電話を片手に、真島がそう聞いてきた。
昔は携帯電話なんてものはボタン一つで電話をかけられたというのに、最近のものはまず最初に暗証番号の設定を求められる。その上、ぞろ目や誕生日なんかのわかりやすいものはダメだというから厄介だ。
「はあ?」
そしてなにより暗証番号は誰にも教えてはいけない。悪用される可能性があるからだ。こうして暗証番号の設定が必須になったのも悪用される事例が多く、携帯電話会社への問い合わせが増加したためである。そんなことは子供でも知っているというのに、唐突になんなのだと眉間に皺を寄せた。
「なんだよ、いきなり」
「桐生ちゃんの誕生日でも俺の誕生日でも開かないんだもん」
「俺の誕生日はともかく、なんで兄さんの誕生日で設定しなくちゃいけねえんだ」
「そういうこと言ぅ~?」
不機嫌な声に小首を傾げる。
「恋人の誕生日なんてテッパン中のテッパンやないかい」
「へえ」
そういうものなのかと適当に相槌を打つ。
「俺はもちろん桐生ちゃんの誕生日にしとるよ♥」
「あっそ」
ここは嬉しく思うべきなのだろうか。真島と直結しない番号であるしセキュリティとしては問題ないが、こうも簡単に教えられては複雑だ。もちろん悪用するつもりなどない。ただ人に教えてはいけないと言われていた桐生にとって、簡単に暴露する心理がわからないだけである。
「あっそってなんや、あっそって。そこは「嬉しい♥俺も兄さんの誕生日にする♥」くらい言え」
「兄さんの中の俺は相当気色悪いみてぇだな」
「どこが。かわええやろ」
四十超えたおっさんに使う言葉ではない。妄想でもきつい。
「あんたのセンスってイカれてるな」
「桐生ちゃんに言われたくない」
「あ?」
食い気味に言われてカチンと血の気が昇るも、真島は話を戻すように携帯電話を揺らした。
「ほんで、暗証番号なんやねん」
「なんで知りたいんだよ」
「桐生ちゃんのことなら何でも知りたいから」
「本音は?」
「桐生ちゃんのくせに暗証番号なんてかけてて小賢しいから」
そういうことだろうと思った。自分だって暗証番号なんて煩わしいのだ。しかしもし紛失すれば間違いなく悪用されると、携帯電話のショップ店員や遥からきつく言われてしまい、こうして面倒だと思いながらも毎回暗証番号を打ち続けているのである。
「俺だって好きでやってるわけじゃねえが、兄さんの番号とか、いろいろ漏れたらあぶねえもんもあるからな。仕方ねえだろ」
「ならせめて教えてや。もしくは俺の誕生日にしろ」
「うるせえなあ」
なんで暗証番号くらいでこんなにグチグチよ言われなければならないのだ。何一つ悪いことなどしていないのにどうもおかしいが、桐生はそれをうまく言語化することができなかった。
「1240だ」
「なんやその番号」
誕生日や記念日でもなく、西暦でもどうもしっくりとこない数字の並びである。
「俺の囚人番号」
「……」
途端つまらなそうに口を曲げる真島にふんと鼻を鳴らして携帯電話を奪い取った。
「なんやそのおもんない番号は」
「誕生日以外で思い出しやすい四桁つったら、それくらいしか思いつかなかったんだ」
なにせ毎日何度も言われる数字だ。自分の名前と同化していると言ってもいい。生涯忘れることのない番号だろうし、誰も連想しない番号のはずである。現に桐生について一番詳しいだろう真島では全く思いつかなかった番号なのだ。
「つまんないから俺の誕生日にして」
「面白いとかで決めるもんじゃねえだろ」
「思い入れあるならそれでもええけど、ないんなら俺の誕生日にせんかいっ!」
「……」
どうもこの話は真島の要望通りにしない限り終わりがなさそうである。別に暗証番号など覚えやすい番号ならなんだっていい。桐生だって恋人の誕生日くらいは頭に入れている。自分の誕生日ではないのだから暗証番号に使うにはちょうどいいはずだ。ただ携帯電話を使うたびに真島の誕生日を入れるというのは、少し気恥ずかしい。打つたびに彼を思いだすのはどうも照れてしまいそうだ。しかし、ここでイヤとつっぱねたところで執念の男が諦めるはずがない。ここは大人しくうなずいたほうが懸命だ。
「……はあ。わかったよ」
「そうそう。はじめっから素直に言うこと聞いてればええんや」
なぜこんなにも偉そうなのだ。自分が無茶苦茶を言っているという自覚がないらしい。真島吾朗という生き物はそういうものだと改めて身に染みた。
「どうやって変えるんだ?」
「設定のところに暗証番号の変更っちゅうのがあるやろ。そこで変えれるはず」
「わかった」
こちこちとボタンを操作して暗証番号の設定をすすめる。その様子に満足したらしい真島はにんまりと笑みを浮かべて居間に戻っていった。
――桐生一馬という男が言われるがままに動く人間だと思っているのだろうか?
翌日、真島が先日と同じように怒鳴り込んできた。桐生の携帯電話を片手に険しい表情を見せている。
「こらっ!桐生ちゃん!俺の誕生日やないやないかい!」
「ひとのケータイいじんなよ」
取り返そうとしても素早くかわされる。居間に置きっぱなしにするのではなかった。どうも持ち歩く習慣が身につかない。
「うっさい!それよりどういうことやねん!俺の誕生日にする言うたやろ!」
「ちゃんと誕生日にしたぞ」
「どこがやねん!0514で開かんかったで!」
「そりゃあそうだろうな」
「あん?!」
まさか誕生日を間違えて覚えているのか。そう言いたげな真島に桐生は口端をあげて笑う。
「生まれ年と誕生日を足した数字にした」
「は」
「ちゃんと兄さんの誕生日だろ?」
目を丸くし、桐生の言葉をじっくりと咀嚼した真島は悔しそうに歯ぎしりをする。生まれ年と誕生日を足せば2478と、ランダムな数字の組み合わせにしかみえない。だが真島の誕生日由来なのは確かであるし、これくらいならば覚えるのも苦ではない。なにより一見真島とは関係なさそうな数字というのも気に入っている。
「おまえ……っ、なにひねくれたことしとんねん!」
「誕生日つったら生年月日のことだろ」
「……ぐ」
真島はしばらく桐生を睨みつけていたが、やがてふっと笑みを浮かべた。
「……まあ、ええわ。桐生ちゃんらしいっちゃらしいしな」
「そうか?」
意外にもすんなりと折れてくれた。もうひと悶着は覚悟していたが、約束は違えていないのだと納得してくれたらしい。
「でもな、次は俺の誕生日そのままにしといてや」
「ふ。……考えとくよ」
そう言って、桐生は真島から携帯電話を取り返した。
この携帯電話も大分古びてきた。ボタンを力強く押さないと反応しない時がある。次の機会はそう遠くないと思いながら、メールの着信を知らせる音に暗証番号を入力するのだった。

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