傷ついた顔をしていた。裏切られたような、捨てられた子犬のような、弱々しい無防備さが残る姿だった。
暗闇の中、真島は脳裏に浮かぶ顔を追い払うように頭を振った。夕方の出来事が頭から離れない。グランドの経営している最中も、帰宅してからも、そして今まさに寝る直前になってもあの顔が焼き付いている。
弟だと言っていた。父親違いの兄弟だと。あの堂々とした話し方に、父親の名前までだしてきた。本当にそうなのかもしれない。
――父親はクズだった。物心ついたときから雑用をやらされていた。子供なら許してくれると言って盗みや詐欺の手伝いもさせられた。アルコール依存症で道端で失神し、救急車で運ばれるときもあった。飯もろくに食えないし、暴力もあったし、クズのクズだった。ある日突然いなくなってうれしくもあった。
ただ借金取りが煩わしかった。いないと言ってもしつこくやってくる。隠しているのではと暴力をふるわれかけたので抵抗した。多分その時たまたま同行していたんだろう。借金取りの後方で見ていたヤクザが「ええ根性や。ウチにこい。どうせ野垂れ死ぬんならウチで働け」そうして下働きをさせられた。やっていることは父親にやられたことと変わらない。少し『上品』になった程度のクズの仕事だ。
ただ嶋野のオヤジを見て、クズのなかにも強さで上に上がれることを知った。父親とは違う豪快さ、荒々しさ、我が道を行くところにほれた。すぐに嶋野組に入りたいと頼み込んだ。
のちに父親が殺されていたことを知った。真島をヤクザにさそった男だった。心底どうでもよかった。いまの親父は嶋野の親父。それが自分にとって救いだったのだから。
「――俺の親父は嶋野の親父だけや。兄弟は冴島だけや。あんな奴は知らん」
そう声にだしても、やはりあの悲痛な顔からは逃れられなかった。
いや、いい。きっと彼は母親の元ですくすくと育った。ヤクザの自分なんかと一緒にいてはいけない。そのうち自分と血がつながっていることに嫌悪さえ覚えるだろう。
「……俺はヤクザに戻るんや」
この地獄を耐え抜いて。
朝から騒々しい。そんな気配がした。桐生は家には帰らず神室町に戻るなり事務所に顔をだした。事務所は少数精鋭、必要最低限の調度品しかないというのにどこか荒れた印象を持たせる。
いつもと変わらぬ笑みを張り付けた立華がさわやかに挨拶をするので、とりあえず挨拶を返しながら小首を傾げる。
「なんかあったのか」
「ええ。先日、堂島組の幹部がつかまりました。そのせいで内乱が勃発する危険が高まったので対策しなければなりません。尾田さんはその準備に駆け回ってもらってます」
堂島組の幹部となれば納得だ。東城会において堂島組の勢力は強く、幹部であってもその名は有名である。そのうちの一人が捕まったとなれば東城会も神室町も静かではいられないだろう。
「そうか。そんな忙しいなか、いいんだか悪いんだか、あんたの妹を見つけたぜ」
「ええ?!」
立華は思わず立ち上がりそうになり、ガタンとテーブルに足をうちつけた。痛そうにしながらも桐生の言葉の続きをせかす。
「ほ、ほんとうですか?!」
「ああ。本人にあった。ただ失明してたから、あんたの写真は見せてないし、保護者みてえのがいたからあんまり話せなかった」
「し、……しつめい?保護者?」
穏やかではない状況にに立華の目が鋭さをみせる。裏社会の人間が使う睨みとはまた別の恐怖を持たせるものだ。失明の原因に、ありとあらゆる可能性を推測しているのがうかがえる。
「なんか事故があったらしい。で、どこかにやとわれてる。保護者ってのはその店の店長だ。俺のことを警戒してたし、妹さんを守ろうとしてたから悪いヤツじゃねえと思うが、事情を説明しても半信半疑だった。まあ『マキムラ』と『タチバナ』じゃあしょうがねえ」
暗に偽名のことをいうと、立華はすねるように眉尻をさげた。
「それなら電話してくださればよかったのに」
「ああ、そうか。あのあと俺も…まあ、それはいい。いろいろあってな。悪かった」
「その人の連絡先はわかりますか」
「ああ」
名刺を取り出す。立華はすぐに名刺の裏に書かれた番号に電話をかけた。すぐにつながったらしい。立華は礼儀正しい日本語をつかっていたが、途中から中国語に変わった。在日中国人だったのか。どうりで偽名をつかっているはずだ。神室町は外国人が多く働いているが、信頼という点においては日本人が優先される。仕事をするならば日本人としての名前や仕草が必要だ。話はすぐに終わったのか、立華は桐生を見上げる。
「桐生さん、戻ってきてばかりで悪いのですが、すぐにまた妹のもとにいってください。李が妹に聞いてくれるそうです」
「李?」
「さっき言っていた店長のことですよ」
「あいつも中国人だったのか」
随分と日本語、しかも関西弁がうまかったから気づかなかった。
「わからないでしょう?向こうも驚いてました。しかし、まあ同族ということで少しは信頼してもらえたと思います。14時ごろにまた李に電話してください。妹が出勤するそうですから」
「そうか。わかった」
「できればすぐにでも連れてきてくれませんか。事情を説明したいのですが、一刻を争うのです。妹が帰ってきたらご説明しますので」
「わかった。行ってくる」
もしかして堂島組の内乱とつながっているのか。この落ち着きのなさはつながっているようにしかおもえない。たしかに堂島組にとって立華不動産は邪魔な存在だ。弱点があるならばそれをつかみたいだろう。だが、そのためだけに行方不明の立華の妹を追いかけるのは効率が悪い。もっとなにか、別の理由があるような気がした。
いまから大阪まで行けばちょうどいい時間だろう。長時間の運転でつかれたが仕方ない。急ごう。
蒼天堀につき、そういえば昨日の夕方から何も食べていないことに気づいた。
ショックだった。感動の出会いとまではいわないが、唯一血のつながった兄からあそこまで拒絶されるとは思わなかったのだ。急だったし、血のつながりを必要とする年齢でもない。ろくでもない父親に育てられたとしたら肉親なんてうっとうしいだけなのかもしれない。そこまでは考えて話すべきだったのに、ようやく見つけた興奮のままに話してしまった。
ただ、母に報告したかった。その思いだけだったのに。鬱々としながらたこ焼きを食べようと屋台に向かう。
「うおっ!なんやお前、こっちに住んどるんか?!」
「……」
たまたまだったはずなのに兄がいた。先客だ。いざたこ焼きに食いつこうとしたときに目が合って桐生も驚いた。先日言われたことを思い出してしまい、気分が悪くなる。隠すように視界から真島をはずした。
「俺にもいろいろある。すみません、二つください」
「あいよ~」
「こんな時間にメシかあ?ちゃんと働いてんのか」
「社長に言われて人探しの最中だ」
座る場所はなさそうなので近くの境界ブロックに腰掛けた。そういえば風呂にも入ってない。におわないだろうか。
「人探しって…どうやるんや」
「はあ?」
「俺もちょっと今人捜しとんねん」
「ヤクザならそれなりに情報網あるだろ」
ホームレスなり債権者をつかって調べればいい。
「それが使えんから自分のアシつかっとんのや」
「ふーん」
下っ端なのかな。いやだな、兄がヤクザのつかいっぱしりにされてるなんて。ショックだ。肉親がヤクザであることは受け入れつつあったが、身分を考えるとむず痒くなってくる。これが堅気の仕事なら何とも思わなかっただろう。悪人のもとでせかせかと働くという姿が滑稽にしか見えないのだ。
「参考にはなんねえぞ」
「ああ?」
「俺はいま不動産会社につとめてる。その伝手使って顧客リストを見せてもらうんだよ。あとは役所とか銀行に行って調べたりな」
どれもこれも不動産会社という職権を濫用している。一般人、とくにヤクザの下っ端にはできない所業だろう。
「んな、俺がそんなことできるわけないやろうが!」
「知るかよ。グランドに勤めてるなら客から聞けばいいじゃねえか。スタッフだって使えるだろ」
ぴくりと真島の目つきが悪くなる。
「お前、なんで知っとんねん」
「名物支配人じゃねえか。名刺配ってりゃわかるに決まってる」
「……」
静かになったのでたこ焼きを食べることに集中した。腹が減ってるからいくらでも食えそうだが、味が濃いし飲み物が欲しい。自動販売機でお茶とコーヒーを買い、食事に戻る。
「そういや、だれ探してんだ」
が、真島の姿はもうなかった。仕事かそれとも人探しに戻ったのか。もう少し喋ってくれればいいのに。自分もぶっきらぼうな態度をとってしまったが、兄との会話はもう少ししてみたかった。とたん、食欲をなくしてしまい、桐生は残りを袋にもどして公衆電話に向かった。店長から確認が取れたのはすぐだった。
すぐにでも東京に連れていきたいといったが、用意もあるから時間が欲しいと断られる。幸運なのはマキムラマコトもすぐに立華に会いたいということだった。明日、迎えにこいという話に桐生は頷くしかない。仕方ない。桐生は空いた時間をつかって真島のことを調べなおした。ヤクザがキャバレーの支配人をする、というのはどうもおかしい。ケツモチやオーナーならまだわかる。あんなショーのように店内で働くのはヤクザの仕事ではない。そもそも東城会の人間が近江連合のシマの真ん中で働けるものなのだろうか。
――嶋野組。
「そうだ、嶋野組は近江とつながりがあるとかいってたな」
先代社長の言葉を思い出す。神室町をしきる堂島組のほかに、歴代会長や直参の組についても詳しく教わった。なぜそこまで詳しかったのかまではしらない。もしかしたら情報網のなかに極道もいたのかもしれない。とにかく、嶋野組と近江連合のつながりはわかった。でもなぜ真島はここで働いている。まるでみせしめのようだ。
答えは出ないまま朝を迎えた。いわれた場所――ほぐし快館には支度を済ませたマコトに店長の李がいた。急に東京に行くといわれたのに不満そうなところはなく、むしろ期待した顔をしている。
「マコトさんは車に。李、ちょっと聞きたいことがあるから来てくれないか。すぐにすむ」
「ああ?」
「頼む。ちょっと情報が欲しいんだ」
横目でマコトを見る。彼女には聞かせたくない話だと理解してくれたらしい。すぐに戻ると言い、ほぐし快館に入った。
「なんや。どうした」
「近江の情報が欲しいんだ。なにか知らないか」
「ああ?近江?なんでまた」
「俺にも兄がいるんだよ。俺が生まれる前にいなくなっちまったらしい。で、なんかヤクザになったみてぇなんだが、東城会のヤクザなんだ。それなのに蒼天堀で働いている」
桐生の疑問は李にも正しく伝わった。眉間にしわを寄せ小首を傾げる。
「…妙やな」
「そうだろ」
きな臭い話はごめんだ。しかし桐生もまた兄を探しているというマコトとの共通点に、李は腕を組む。
「力になってやりたいが、俺もそんな詳しくないねん。お前のアニキはどこではたらいとんのや」
「ああ、キャバレーの」
そのとき、ギイとドアが開いた。そろってそちらに振り向く。マコトだろうか。長話したつもりはないが心配になったのかもしれない。しかし、ちがった。現れたのはやつれた顔をした真島である。
――妙な気配だ。この空気を桐生は知っている。
「…は?」
冷や汗が背中に流れ、困惑の声をこぼれる。真島もこちらに気づいたのか、うろんな目がむけられた。
「あ?なんでお前がここにおんねん」
「こっちが聞きてぇよ」
危険な空気に李も気づいたらしい。訝しげに桐生を気にしながらも真島から目を離さない。あの顔は覚悟を決めた顔だ。これから人を殺す顔だった。先代社長を殺した男もそんな顔をしていた。身体の内側、内臓がぞくりと震える。そんな、まさかという気持ちがブクブクと膨れ上がった。
「お前は不動産屋やったなあ。じゃあ、そっちのごついのが『マキムラマコト』か」
「……」
それは奇妙な一致だった。立華の妹をなぜ真島が探している。昨日言っていた探している人とは彼女のことだったのだ。そしてこの殺意は、最悪の筋書きをあらわしている。
いや、待て。真島は『マキムラマコト』を知らない様子だ。『マキムラマコト』を男か女かすら知らない。写真もない。どういうことだと慎重に推測を進める。
「あんた、鉄砲玉みてえなこともやってんのか」
桐生は真島に気づかれないように車のカギを李に渡す。目配せをすればわかったように頷かれた。
「お前には関係ない。下がってろ」
「いいや。関係あるね」
腹が立つ。なんなんだ、いったい。この奇妙な動き。気分がわるい。
誰かが巨大な装置で糸を操り、自分たちを俯瞰して操っているような、誰かの思い通りになっているような、胸焼けするような気色悪さ。
なぜ彼女が狙われている。立華はそれを予期して急かしていたのだろうか。だとしても長年立華が探し続けていた『マキムラマコト』をなぜ真島が見つけることができた。蒼天堀にいたからと言って簡単にできるわけではない。誰かが教えたのか。名前だけ教えて殺すように言った誰かがいる。その誰かは『マキムラマコト』が蒼天堀にいることを知っていた。――このタイミングで?おかしくないか?いくらなんでも偶然がすぎる。
しかし、それを探るよりも先にやるべきことがある。このアホな兄を止めてやらなければならない。
「はあ?」
わけがわからないと真島は背中に手を回す。獲物を持ってるのか。それもそうか。殺しに来たのだからそれくらい持ってきて当然か。
「――オレが『マキムラマコト』だからだよッ」

※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます