大声を張り上げ、兄が怯んだ隙を見て近くにあったサイドキャビネットを蹴り飛ばす。
「いってッ!」
案の定避けられなかった兄はキャビネットに意識をとられた。思いっきり腰を強打して悶えている。このわずかな時間を逃すわけにはいかない。
「おい、あんた先に出てくれ。俺がひきつける。だが、雲行きが怪しい。車のグローブボックスに住所録と合鍵が入ってる。適当なヤサで隠れてくれ。三時間くらい経ったら連絡を入れてほしい」
端的に話すと李はすぐに理解するものの、それでいいのかと不安そうな目をみせていた。自分も一緒に逃げるべきだが、兄から事情を聴きだすのが優先だ。
「なんでこうなったか調べる。一応聞くが、あんたに心当たりは?」
「ない。あの子にもないはずや」
「わかった。ほら、早く行ってくれ」
狭い通路を塞ぐように悶えていた兄もようやく回復したらしい。李を逃がすべく真島の腕をとって部屋の奥へと引きずり込んだ。すぐに出ていく李を見送り、安堵の息をついていると後ろから苛立ったような声が爆発した。
「お前、なんやねん!お前、売春の元締めなんかしとるんか?!」
「……はあ?」
予想外の文句だった。
まったくもって身に覚えがない。李にもないだろう。もちろんマキムラマコトにも。そういったおぞましいニオイは感じられなかったし、盲目の彼女がそんな悪だくみをするとは考えられない。となると単なるデマか、もしくは同名の人間がいるか、はたまた別の理由でもあるのか。いろいろと腑に落ちないことが多い。
「東城会の人間が蒼天堀の売春の元締めを殺す……?意味わかんねえな」
近江連合ならまだしもわざわざ東城会が出張る理由が思いつかない。敵対組織のおひざ元でそんな喧嘩を売るような真似をしていいのだろうか。真島も思うところがあったのか苦々しく口を尖らせる。
「う、うるさいっ!こっちにも事情があるんじゃいっ」
「適当な情報をにぎらされてパシられてるの見たら口出しくらいするだろ」
「ああ?」
意味が分からないとばかりに悪態をつかれた。
「はあ……」
恐らく兄は使い捨てのコマなのだ。だから正確な情報を持たされずに鉄砲玉として送り込まれた。しかしなぜ東城会の人間がそんなことをするのか。そのひっかかりが喉奥で居座っていた。
これは上の上まで調べなければならないだろう。どうやら誰かが考えた厄介な計画に巻き込まれたらしい。
「知ってるのは名前だけで写真すら貰ってない殺し屋がどこにいるんだ。あんたの元締めは一体誰だ?東城会なのか?」
「……そないなこときいてどうすんねん」
「そりゃあ気になるだろ」
真島を動かす人間がわかれば、それなりに企みもわかると思ったところに、再び入り口付近が騒がしくなった。李だろうか。いや、先ほど車がでる音が聞こえた。この通りは交通量が少ない。聞き覚えのあるエンジン音だから間違えるはずがなかった。
一体誰だとふりかえれば、いかにもヤクザという風貌の男たちが三人ほどヅカヅカと足を踏み入れる。その手には銃やドスが握られていた。明らかに穏やかではない。先ほどの真島が可愛く見えるほど、彼らは殺気だっていた。
「あ?マキムラマコトは?どこにおるんや」
部屋にいる桐生と真島を交互に見てそうこぼした。二人には興味がないという顔に桐生から低い声が漏れる。
「誰だ、あんたたちは」
――まただ。
またマキムラマコトだ。一体彼女はなんなんだ。その疑問と同時に湧き上がる怒りが桐生の視野を狭くしていく。彼女は悪い人間には見えなかった。ということは、彼女を利用してなにかを企んでいると推測するのが当然だろう。乱暴なヤクザだちはどうやらマキムラマコトの顔を知っているらしい。
この情報の格差はなんだ。二つの組織が同時にマキムラマコトを狙う理由はなんなんだ。立華の存在が邪魔だからその妹を利用するという計画も考えられたが、どうも回りくどい。
それなら殺害ではなく誘拐だろう。しかし真島は殺しに来ていた。だから人質の案は消える。やはり殺害が目的なのだ。こいつらは。そろいもそろって。あの盲目の女性を殺そうとしている。
「おめえこそ誰だよ。いうわけねえだろ」
邪魔だと言わんばかりに銃口を向けられ、とうとう我慢がきれた。
「ああそうかよッ!」
近くの椅子を投げつける。李にはあとで弁償しよう。そう考えながら観葉植物やベンチを投げつけ、隙を見て殴り掛かる。こんな奴らに話し合いなんて無用だ。暴力を生業にする者たちは人数が増えれば増えるほど知能が落ちていく。だから人を減らすしかないのだ。一人二人とのしていき、残りの一人が怯えているのを見て胸ぐらをつかむ。
「ひっ」
「俺がマキムラマコトだ。よく顔を覚えておけよ」
「え、えっ」
戸惑う男を殴りつけ一息つく。少しの間は失神してくれるだろうが、暴力に慣れていれば回復も早そうだ。早々に逃げたほうがいいと、男から代紋を回収しながら考える。
「お、おい。なにしとんねん!」
と、放置していた兄が慌てるような声を出す。明らかに困惑した様子だ。
「なにって。こっちに危害加えようとしてたやつらをボコしてもいいだろ。正当防衛ってやつだ」
「いうて、そいつらヤクザやろが。報復とか考えんのかお前は」
「ヤクザが怖くて不動産できるかよ」
普段からヤクザ相手に仕事しているようなものだ。地上げや居座り、恐喝やデマ、厄介なことばかりしてこちらが根負けするのを待っている。しかししびれを切らすのを待っているのはこちらも同じだ。向こうが暴力に訴えてきてくれる方が楽で助かる。
男がつけていた代紋には「鬼仁会」と金字で書かれてあった。桐生の記憶には無い。東城会ではなさそうだ。となれば近江連合となる。ますます訳がわからない。
東城会と近江連合がそろってマキムラマコトを狙っている。これはただ事ではない。早く情報を掴まないと命取りになりそうだ。
「なあ、鬼仁会って知ってるか?」
「はあ?……知らんが。どこの組や」
「多分近江連合だろ。調べておいてくれよ」
「は?なんで俺が」
「競合相手だぞ。知っておいたほうがいいんじゃねえのか」
代紋を投げ渡すと、ようやく男たちの正体を察したらしい。真島と同じくマキムラマコトを狙う鬼仁会。先を越されて困るのは真島だ。
「てことでよろしく。また今度顔だすから」
「は、え、お、おいっ!」
また人が来られても困る。蒼天堀は近江連合の巣だ。人海戦術をとられれば自分だってただではすまない。窓から外を窺えば、ちょうどよく黒のワゴン車からヤクザらしき男たちがでてきていた。出入口は使えそうにないな、と窓を開けて足をかける。
「またヤクザが来そうだから、兄さんも早いところ逃げろよ」
「ちょお、おまえ」
この高さなら怪我もしないだろう。躊躇したほうが危なっかしい。そう思い切って桐生はその場から飛び出すのだった。

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