義兄弟パロ-10

滋賀から神室町へ、それからまた蒼天堀に向かう。車の免許を持っていてよかったと、缶コーヒーを飲みながら痛感した。
蒼天堀につくころには朝日が昇っていた。どこかで仮眠をとってから兄に会いに行こうとぼんやり考える。その前にもう一度資料を読みなおそうか、それとも一睡してからにしようか迷った。
桐生の手中には十数ページに及ぶ調査報告書があった。神室町の情報屋がようやく兄の調べをつけたのである。
これまで一般人だと捜索していたが、極道とわかればその道の情報屋に頼めばいいと切り替えた。連絡が来たのは昨晩の立華たちとの電話のあとだった。疲労困憊といえどこれも早く知りたいものである。桐生は資料を受け取りに神室町へと急いだ。
たった一日で怒涛の騒動に疲労が残るものの、いくつか腑にも落ちた。兄のことはもちろんのこと、マコトについてもである。
立華からの電話はそう時間がたたないうちにきた。桐生はワンコールでとり、そのままスピーカーホンにする。彼らの会話を聞き、情報を共有するのが目的だ。
『どうしたんです?なにかありましたか』
普段通りの尾田の声が聞こえた。立華相手だからか抑揚が強く、こんな夜中に呼び出されても不機嫌さも感じられない。
『ええ。実は少し困ったことになりまして』
『困ったこと?むこうでなにかあったとか?』
それはいつも通りの会話に聞こえた。尾田に内通者の疑いがかかっている今では探りを入れているようにも感じる。ふと桐生はマコトの顔色が悪いことに気づいた。やはり無理をさせてしまったのだろうか。
「マコトさん、先に休んだ方が」
「……きりゅうさん」
震える声で、しかしハッキリとした声で桐生を呼んだ。それが緊急を要するものだと、察しの悪い桐生でも理解できる。
桐生は眉間に皺をよせ、「はい」と相槌を打つ。立華も気になるがマコトも重要だ。ないがしろにしてはならない。
「その、尾田という人は……左腕に刺青がありますか?こ、こうもりの刺青です」
「え」
尾田に刺青があることなど知らない。なぜそんなことが気になるというのか。絵柄を具体的に知っていることも気になる。以前会ったことがあるのだろうか。
マコトは目が見えない。だというのに絵柄を知っている。つまり、彼女が視力を失う前の因縁だ。李の険しい目を見てただ事ではないと知る。
――嫌な気配だ。カラの一坪を軸にして多くのいわくが絡みついている。すでに単純ではないと思っていたが、想像以上に複雑で難解な思惑が潜んでいる。
腹が立つ。
自分はまだいい。こんな揉め事くらい神室町で生きていれば遭遇もするだろう。しかし、生き別れの兄といい、この無害なマコトといい、しょうもない悪意が絡みついているのは腸が煮えくりかえるようだった。くだらないヤクザの揉め事に絡まれた挙句に命の危険まであるのは許せない。
だったら自分だって暴れてやる。今の桐生はすでに部外者ではないのだ。
「立華!尾田の左腕に刺青入ってんのか!」
当初の目的は早々に捨てた。彼らの会話よりもマコトの悩みを解決する。どんなことがあっても尾田は立華を危険な目には合わせない。それは確信している。常にマコトを優先するべきだ。それで尾田の目的がわかれば万々歳だろう。
盗み聞きの取り決めが桐生によって破られたことに、電話の向こうでは困惑の様子が伺えた。ただ立華は桐生の行動に緊急性があると察したらしい。尾田の声を無視してこちらに語り掛ける。
『はい。蝙蝠の刺青が入ってます』
李とマコトの表情が変わる。どうやら二人が知る人間だったらしい。
「お兄ちゃん!どうしてそんなひとと一緒にいるの!?」
悲痛で憤怒を滲ませる金切り声が響く。視力が無いはずだというのに電話の向こうの二人を睨みつけているかの形相だ。
「その人はわたしを騙して……兄さんを知ってるって言って……それで怖い人たちに売って、それで、それで……わたし、」
思い出さなくていいことまで思い出そうとしている。前のめりになって言葉を吐き出そうとするマコトを、そっとソファにもたれるよう肩を押しやった。
なにをされたのか。そんな予想は神室町の人間なら大体想像がつく。そんな卑劣な事件はいくらでもあるし、被害者が消えることも珍しくない。ヤクザが巣食う神室町では騙される方が悪いと言われる始末だ。
ただ、桐生はそれを容認してないし、毛嫌いしている。騙す方が悪いに決まっているからだ。
「尾田。てめえ……」
きな臭い男だと思っていたがそこまで外道な人間とは思わなかった。ヤクザよりはまだマシな人間だと勘違いしていた。自分の人を見る目の無さに嫌気がさす。
『ちょ、……な、なになに?なんのこと?蝙蝠の刺青なんて被ることくらいあるでしょ』
普段の明るい声が聞こえる。電話越しなら騙しとおせると踏んだのだろう。その目論見がますます苛立たせる。
「マコトさんが蒼天堀にいるって情報は俺が掴んだ。そのあとすぐにヤクザが押し寄せてきたんだぞ。俺は立華にしか言ってねえ。立華はあんたにしか言ってねえ。じゃあ怪しいのは誰だって話だろうが!」
『…………ぐ』
言葉を詰まらせたのがなによりの証拠だ。偶然と言い切ることもできた。かなり苦しいが偶然に偶然が重なったと言われては引き下がるしかない。
「あんたらの会話で探ろうと思ったんだがな。時間がかからなくて助かったぜ」
『……お前がここまで察しが良いとは思わなかったよ、桐生くん』
「どーも」
尾田は苦々しく吐き出した。桐生ならさして気にもせず、のこのこと神室町に連れてくると思っていたのだろう。自分自身そう行動するとは思う。ただ、桐生には兄がいた。生き別れの兄弟が巻き込まれていることに腹を立てていたのだ。このせいで兄が人殺しになりかけたとなれば、慎重に行動せざるえない。
マコトに絡みついた因縁を取っ払わなければ兄が人を殺すようになる。それだけは避けなければならない。こんなくだらない計画は阻止しなければならなかった。
「マコトさん、どうする?尾田をつかまえてあんたと同じ目にあってもらおうか?」
突然話を振られたマコトがびくりと肩を震わせた。全くもって意味が分からないという顔に、桐生は口端をあげる。
「え……?」
「目をつぶしてもいいし、まるっと同じ目にしてもいいし、もっとひどい目にあわせることもできる。神室町はそういう悪趣味を好む奴らも多いからな。いくらでも用意できるぞ」
底なしの刺激を求める金持ちたちはよろこんで受け取るはずだ。マコトには別世界の話ゆえに想像すらできないらしい。李が呆れた顔をしているが、それくらいは必要だと頷いている。
『随分なことをいってくれるじゃない。お前が俺を捕まえられるのかよ』
「あんたは絶対にマコトさんの前に現れるはずだ。コマがねえからな」
『はあ?』
はっきり言い切る桐生に尾田は苛立ちを隠せないでいた。
「カラの一坪の所有者は俺になった。お前が頼りにしてるヤクザは俺を狙うはずだ。マコトさんを狙う必要もない。となれば、あんたはどうする?」
『……ほんと、こんなに頭が回るとは思わなかったよ。いまどこにいるんだ』
「教えるわけねえだろ。それに、これからあんたらも知らねえヤサに隠れてもらう。東城会も近江も寄り付かねえ地域にもアテはあるしな」
ドンと派手な音が響く。腹いせで壁でもなぐったのだろう。それから立華が尾田を呼ぶ声が聞こえ、少しの沈黙があった。
「逃げたか?」
『ええ。……すみません。私もまだ戸惑っていて……』
信頼していた右腕が妹を売り飛ばした人間だと想像できるはずもない。すぐに心の折り合いをつけるのは難しいと、桐生は追求するのをやめた。そもそも立華では尾田にかなわないようにも見える。仕方ないだろう。
「深追いしてもしょうがねえ。それより、尾田ってマコトさんの顔を知ってんのか?」
『ええ。二年ほど前ですかね。マコトがテレビの特集で映ったのを、二人で見ました。おそらくその時、彼はマコトのことを思い出したのでしょう。そしてカラの一坪の所有者と知り、コトが知られるのを防ぐために命を狙った、といったところでしょうか』
戸惑いながらも状況を整理する立華に息をつく。大方そういった筋書きだろう。
「カラの一坪はくれてやるからマコトさんを殺してほしいって頼めば、まあヤクザはやるだろうしな。ようやく話が見えてきたが、まだまだ危なっかしいのは変わりねえ」
肩をぐるりと回す。ちょうどよく胸ポケットに入れていたポケベルが鳴った。目を細めて確認し、首も回す。
「悪いがまだマコトさんは隠させてもらう。尾田のことが片付かねえと神室町に近寄らせられねえ」
『ええ。そうしてください。私も彼を捕まえるために尽力します』
「そうだな。それで、カラの一坪はどうする?とりあえず俺のもんにしちまったが、よかったか?」
『ええ。助かりました。桐生さんが持っていれば状況はかなり変わるはずです。そのまま桐生さんが持っていてください』
「いいのか?」
これを片手に神室町の均衡を崩す計画だったのではなかったのか。先に尾田を片付けたいのかもしれない。
『そのほうが堂島組の人間も予想できないでしょう。……そのうち、私が売ろうとしていた方が接触してくるかもしれません。その人に売るのも売らないのも桐生さんに任せます』
「俺、こんな土地いらねえんだけど」
売り飛ばせるのならば売り飛ばしてしまいたい。こんな血がにじみ出てくる曰く付きの土地なんてすぐにでも手放したいというのに、立華は苦笑ですませた。
『本当、欲のない人ですね。だからこそ良い人に渡ることを期待してます』
「そうかよ。じゃあとりあえず俺が預かっておく」
『……マコト。巻き込んでしまってすまない。今はまだ会えないが、桐生さんを信用してほしい。このことは必ず片づける』
「……うん」
お互いに複雑な声色を隠さぬまま、電話が切れた。立華もこれからの立ち回りもある。あまり長電話はできない。
予想外の話の転がりに頭が痛い。点と点はつながった。しかし厄介な絡まり方をしている。どう折り合いをつけるのか気になることろだが、桐生には優先順位がある。
ポケベルに表示された電話番号につなげる。昨日の今日の依頼だというのに仕事が早い。流石神室町の人間だ。相手はすぐに電話に出た。
『どうも。ある程度揃いました。受け取りはどうします?』
「直接受け取れるかわからねえから事務所に投げといてくれ。今後もそうして欲しい。金は明日にでも振り込んでおくよ」
『わかりました。それではまた』
腕を伸ばすとごきりと軋む音がした。精神的疲労はすぐに身体にくる。これからの段取りを考えながら腕をまわし、胸ポケットから手帳を取り出した。
「李。明日朝一でここに向かってくれ。先方には連絡をいれておく。たぶんそこならヤクザはこねえ。マコトさんも安全だろ」
手帳の半分以上はアドレス帳だった。そのすべてを使い切るほどの連絡先が連なっている。ぱらぱらと目当ての連絡先を近くのメモ帳に書き写し、李に渡した。
「ここが尾田たちも知らんヤサっちゅうわけか?」
目を細めて住所を確認する李に頷く。
「ああ。俺の恩人が残した事業の一つなんだ。いろいろ手を出してた人だからな。俺も把握しきれてねえ。むこうが人海戦術つかっても見つけられねえだろうな」
「わかった。お前はどうすんのや」
「一旦神室町に行く。俺も状況把握してえし」
当分まともに眠れることはないだろう。
「えっ。それって危ないんじゃないんですか?」
立華と尾田との電話をおえて放心状態だったマコトが話しに入って来た。ぱちりと目を瞬かせて小首をかしげている。
「カラの一坪の所有者を神室町のヤクザさんたちが狙っているんですよね?だから私から桐生さんに移したのに、それなのに行くんですか?」
「今のことろ、それを知ってるのは今ここにいる人間と立華と尾田だけだろ?」
「そうですけど……尾田さんがヤクザさんとつながってるんですよね?」
「尾田はヤクザを使ってマコトさんを捕まえたかった。おそらくカラの一坪の売買契約が終わったら尾田に身柄を渡してほしいとか殺しておいて欲しいとか、そういう取り決めがあったんだろう」
「……」
殺意の理由を知り、マコトは強く手を握りしめた。
「じゃあ俺がカラの一坪を持ってるってなったら、ヤクザたちはそんな協力はしねえだろ?マコトさんを捕まえてもなんのうまみもねえ」
「……じゃあ、尾田さんはこのことを話さない……?」
「そのはずだ。むしろ俺が神室町に来ることを恐れてるだろうな。ペラペラしゃべられたら尾田の計画はパアだ。だから今の俺が神室町に行ってもまだ安全なはずだぜ」
完全というほどではない。立華不動産はヤクザたちに嫌われているし、立華の居場所を知るために揺さぶりにかけられることもある。
ただマコトのように誘拐や殺人の危険まではないのだ。――いまは、まだ。
「神室町に行ったらまた蒼天堀にいく。近江とつながってる人間を知りたい。そのうえで俺がカラの一坪の所有者って情報を流す。そうすればヤクザがマコトさんを狙うことは無くなるだろうな。まあ、尾田って危険な奴は残ったままだが」
「あの……、尾田さんは兄さんに私にしたことをバレるのが嫌で殺そうとしてたんですよね。でも、それはもうバレてしまったじゃないですか。それでもまだ危ないんですか?」
至極もっともな話だ。尾田の計画は破綻した。マコトを殺す理由も無いと考えるのは当然である。
「ヤクザと手を組んでおいて「やっぱりもういい」ってのは通用しねえし、こんなことで諦められるやつは殺しの計画なんて立てたりはしねえ」
「……」
「バレちまった以上、なりふり構わねえってやつはいくらでもいる。このまま逃げて生きるよりマコトさんを殺してからイチからって考えるかもしれねえな」
追い込まれた人間は何をするのかわからない。暴力的な人間ならばより短絡的な考えを起こしてもおかしくはないのだ。それを、まだ普通の常識で当てはめようとするマコトに桐生はかみ砕いて説明する。
「逃げることはないんですか?」
「俺としてはこのまま逃げてくれた方が楽だが、落とし前はつけてえだろ。今後自分の目の前にあいつがくるかもしれねえって恐怖もあるだろうし」
いままでもその恐怖は付きまとっていたはずだ。だから彼女は視力を失ったままだと考えられる。
「……それは、そうですね」
「あんたさえいなければ、とでも考えてヤケを起こしてる可能性が高いんだ。悪いがもう少し身を隠しててくれ」
「あ、はい。それは全然かまわないんですけど……桐生さんも危なくなるんですよね?」
桐生がカラの一坪の所有者であると情報が洩れればヤクザたちは容赦しないだろう。相手は立華不動産の人間であるし、極道の中には恨みを持つ者も多い。より殺気立って桐生を捕まえるはずである。
「俺は不動産屋だ。土地を持っている以上は売るのが仕事だ。向こうだって交渉ですむなら交渉で終わらせる。今回の襲撃がおかしかったくらいなんだぜ」
「そ、そうなんですね」
「まあ手出しできねえように手はうつさ」
素人相手ではないとわかればむこうも慎重にならざるえない。短絡的な人間が厄介なことを起こす前になんとかコトが収まればいい。経験的にそうなることはまずないのだが。

←9 / 続く

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