例えば、土砂降りの雨。次に長引く幹部会。古参幹部たちの情けない鳴き声に、解決方法が見つからないままぐるぐると繰り返す今後の方針。鬱々とした空気が嫌で逃げようとするも隣の冴島に睨まれては身動きもとれない。
窮屈すぎて嫌になる。喧嘩の一回や十回しないとやってられない。年に数回こんな気落ちする気分になる。不幸が重なると頭が重くなった。
夜になってようやく幹部会は終わったものの、議題は次の幹部会に持ち越されることになった。各々宿題を抱えたまま帰路につくまえに、お互いに団結しようと声をかける幹部もいる。
――冗談ではない。老人介護なんてまっぴらだ。時代においてけぼりにされてなお地位にすがろうとする自分が悪いのだ。とっとと引退しろと心の中で毒づく。
冴島と酒でも飲もうかと思ったが早々に帰宅することにした。今日はなにをやってもうまくいかない気がする。そういうときは何もかも忘れたほうがいい。
思い返せば朝から労災の報告に資材搬入の遅れ、その他諸々のつまらない不幸が重なった。
どうりで気分が落ち込んでいるわけだ。この雨の中ではバッティングセンターで遊ぶのも億劫だ。気晴らしも出来ないとなると益々陰鬱な気分にさせられる。
幹部会の最中でも関係なくメールや電話の通知は来ていた。それらをすべて無視するように携帯電話の電源を切り、帰りの車に乗り込んだ。このまま家に帰ると告げれば運転手は横目で一瞥しつつ、そのまま車を走らせる。事務所に戻らないのかと言いたげだったが、自分の不機嫌を察したらしい。
誰かれ構わず不機嫌をまき散らして周囲を意のままに操るような大人。若いころはそうはならないと誓ったくせにコレだ。自己嫌悪をしながらも、冷静に事情を説明する気分にもなれない。重くため息をつき、腕を組んで目を瞑る。寝ていれば少しはマシだ。おそらくは。
例えば、澤村遥。次にアサガオの子供たち。
なんだかんだ六代目には甘いし、刑事の伊達にホストクラブのオーナーもそうだ。
あの堅物は、堅物のわりに気を許している人間が多い。もちろん自分だってそうだと自負しているが、明確な序列がある。
一位になりたいわけではない。そんなものを目指しても虚しいだけだ。澤村遥より自分を選ぶような男は桐生一馬ではないのだ。
理解しているし納得もしている。ただ、どうしようもなく気分が落ち込んでいるときにそれを自覚するのは、なかなか堪える。
夢に見るのは平成初期の時代だ。まだそこらで喧嘩してもおかしくなかった時代、あれよこれよと桐生に喧嘩をふっかけた。
桐生は全く応えてはくれなかったが、酒や遊びの誘いにはのこのことついてきた。他の組の人間としては一番仲良くしていたはずである。
しかし百億円事件が発生してからはあれよこれよと横入りされた。澤村遥はまだいい。彼女は特別中の特別だ。嫉妬するのもバカバカしい。
ただ刑事といいホストといい、ポッと出のヤカラが桐生とやり取りしているのを見ると疎外感を突き付けられる。
随分と遠くに行ってしまったものだ。昔は毎日のように顔を会わせたというのに今では年に一度会えるかどうかだ。それに、それから――。
「ひっくし」
自分のくしゃみで目が冷める。車内は暖かいが、早めの花粉が紛れ込んでいるのかもしれない。この時期はいつもそうだ。明日にでも花粉症の薬を貰いに行かねばならないと辺りを見回す。雨のせいで視野は悪いが見慣れた景色である。
「ああ?」
時計を確認すると本部からでて30分ほど経っていた。いつもならすでに家についているはずだというのに、まだ途中だった。この道から逆算するに、あと10分以上はかかる。
「なんや。渋滞か?」
「あ、親父。起きましたか。どうやら事故があったみたいで、いま迂回してるんですけどこっちも渋滞で」
「ほー」
むずむずする鼻をこする。運転手から箱ティッシュを差し出され、すぐに鼻をかんだ。
「それから、その。事務所から何度も親父に電話をつなげろと言われてまして」
「んー」
まったく。どいつもこいつも自分でなんとかできないのか。若頭は事務所に置いたままなのだから、大抵の判断は下せるはずだ。
どうせこのまま渋滞がつづくし再び寝るのも気分ではない。多少の時間つぶしにと携帯電話に電源を入れる。すると着信とメールの知らせに何度も携帯電話が震えた。センターへ問合せしているせいで画面の動きも悪い。
一気にやる気が落ちる。やはり仕事はやめにして、冴島に電話でもしようかとアドレス帳を開いた。サ行を見る前に目が入ったカ行。
桐生一馬の文字。
真島はじっと見つめた後、爪先で決定ボダンを押し込んだ。意外にも三コール内で電話がつながる。
『はい』
「きりゅうちゃん?」
『兄さん、どうかしたのか』
桐生の電話にかけたのだから桐生につながるのは当然だ。久しぶりの桐生の声に真島は瞬きを繰り返す。なにを話すかの目的もなく、なんとなくかけてしまったのだ。
『にいさん?』
沈黙の真島に桐生が訝しげな声をかけてくる。なんともまあ呑気な声だ。電話のむこうでは子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
夕食を食べてひと段落の時間だろうか。まだ寝るには早いから、テレビやらゲームやらで団らんの時間を過ごしているのだろう。仕事帰りの自分とは雲泥の差である。
「……桐生ちゃんさあ」
『ん?』
「あのなあ」
『なんだよ』
いつも単刀直入な真島にしてはだるい話し方をしている。電話越しだからか桐生の声は穏やかで、せっつくような様子もない。まるで別世界だ。
「――お前薄情すぎやせんか!?たまには暑中見舞いなり年賀状なりだしてきたらどうやねん!電話も俺がせえへんかったら一生かけることはなかったなァ!?ああ!?おどれいくらカタギになったとはいえ義理っちゅうもんがあるやろ義理っちゅうもんが!!それが堂島の龍と呼ばれた男がすることかいな!ええッ!?子供たちの世話もええがたまには近況報告くらいしたらどうなんじゃい!」
『は、ちょ、うるせぇ!』
マイクに向かって大声を張り上げれば向こうから苦情がきた。だが聞く耳はもたない。
「のう!桐生ちゃん!お前はそう思わんか!?ああ、兄さんに電話してない俺は薄情だなあ!って!自覚してないところがさらに血も涙もないのお!昔気質の人間やと思ったのにいつの間にそない冷血漢になってもうたんか俺は悲しくてしゃあないわ!」
『うるせえうるせえ!叫ぶんじゃねえよ!』
「だったら電話の一つくらいよこしたらどうなんじゃこの不人情!」
切断ボタンを押し携帯電話を座席に放り投げた。
言いたいことだけ言ってすっきりした。頭が冴えるようだ。やはり悶々と抱え込むのはよくない。この真島吾朗ともあろう男が、らしくないことをしていたとは情けない。
うんと伸びをして肩を回す。腹が減ったし疲れたし暴れたい。事務所に戻って怒鳴り散らすのもいいかもしれない。そう考えながら外に視線を向けると、見慣れたチェーン店の看板が目に入った。
「お。あそこのハンバーガー屋に入って。飯くうわ」
「うす。店内にしますか?テイクアウトにします?」
真島はファストフードでも文句を言わない。時間が無ければコンビニ弁当やカップ麺を食べることだってある。運転手もそれを心得ているので真島が店内利用でも特に気にはしなかった。
「においこもるから店にするわ。お前も食ってええで。いつものセットにお茶な」
「はい。ご馳走になります」
素早く駐車場に車を停める運転手に財布を渡す。夜にファストフードを使う客はあまりおらず、店内は空いている様子だ。食べきることには渋滞も解消するだろう。
「親父、携帯もってってくださいよ」
バイブの振動で煩い携帯電話には真島も気づいていた。当然運転手もである。
「知らん知らん。お前もケータイ置いてけ。うっさいねんあいつら」
「勘弁してくださいよ……」
「はん。ええトシこいた奴らがなに泣き言いうとんのや。ほれ、行くで」
「うす」
外に出るとまだ冷える風にあたる。雨もぽつぽつと頭に当たるが、不快というほどでもない。きっとさっきまでの陰鬱さは空腹のせいだったのだ。そう言い聞かせて真島は油のにおいがする店へと足を伸ばすのだった。
翌日。眠れば大抵のことはあとを引かない真島は、仕事の支度のなか着信音に気づく。朝からなんだと口を尖らせて確認をすれば、液晶画面には桐生一馬の文字が表示されている。
「桐生ちゃん!どうしたん!朝っぱらから!」
事務所や下っ端、それから本部の呼び出しでなければ真島の機嫌はすこぶる良い。とくに桐生からならばすべての予定をなげうってでも優先する。
『えっ。……いや、あんたがたまには電話をしろといったんじゃねえか』
呆れた声に小首をかしげる。
「せやったっけ?」
そうだったろうか。そんなことを言うかどうかでいえば言う。記憶になくともそれくらいはするだろう。
『んだよ、覚えてねえのかよ……あれだけ騒いでよお……』
あからさまに不機嫌な声を出されるが、桐生なりに律儀に対応したのだ。自然と口端が上がり、真島は陽気な声で返した。
「そんならたまには電話せえ。せやなあ週一くらいがちょうどええんちゃうか」
『そんなに?』
「ああ?週一のどこが多いんじゃ。俺なんぞ舎弟たちから日に十以上はかかってくるんやぞ。別の人間ちゃうで、同一人物からじゃ!」
自然と語尾が強くなる。着信履歴が同じ名前で埋まることもザラだ。うんざりする。
『そりゃあ仕事だからだろ。電話で叫ぶなよ、うっせえなあ』
「うるさいもどうもこうもない!桐生ちゃんがたかが週一くらいで情けないこと言うから俺は嘆いとるんじゃい!」
横目で時計を確認する。朝の九時。おそらく子供たちを学校に送り出してひと段落したといったところか。
元ヤクザがどうやって食いついでいるのかは知らないが、仕事前に連絡してきたと見える。それに関しては評価するべきところだろう。
「これ以上ガタガタ言うつもりなら俺はいまからそっちに行って耳元で叫んだるからな」
『……勘弁してくれ』
真島は冗談を言うが、時には有言実行する悪質さがある。桐生も適当に流してはならないと察したらしい。電話の向こうで緊張する空気を感じた。
「じゃあ三日に一回やったな」
『は?さっき週一って』
「桐生ちゃんともあろう男が約束をたがえるとはおもわへんが、もし破ったら俺は悲しくて悲しくてなにするかわからへんわ。そこらへん重々理解しといてやー。ほな、よろしく」
『おい』
合間合間桐生が抗議の声を上げていたが全て無視してやった。こちらとらヤクザをやっているのだ。都合の悪いことなど聞こえなかったことにするのが常識である。
そういう世界に戻るようにしたのは桐生なのだ。これくらいしても可愛いものだと鼻を鳴らす。
「ま、なかなかええ順位やな」
暫らくは順位が動くことはなさそうだ。澤村遥にアサガオの子供たち。その次となれば悪いものでもない。機嫌よく腕をのばして肩を回す。
外は快晴、花粉光環が見える。舌を打ち、花粉が飛ばない時期だけ沖縄に行くのも有りだなと考えながらネクタイを締める。当分は我慢してやろう。とりあえず、この順位ならば。

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