【ボツ】沖斎(2話)

鼻がひくりと揺らぐ。
屯所では煙が上がっていた。事件性はない。食事当番が昼飯の支度をしているのだ。
新撰組では希望さえあれば食事がだされる。とはいえ、近くに茶屋があるし、少し足をのばせば洛外にて腹を満たせる。常に屯所に詰めてない限り、隊士たちは外で食事を済ませていた。
しかしそれにしては焦げ臭い。醤油やみその匂いもせず、どちらかといえば甘い匂いが漂っていた。
「今日の当番って誰や。やけにへんなにおいがするが」
相当下手な隊士が当番についたとみた。沖田はすんと鼻を鳴らして、隊士たちの稽古を見ていた永倉にたずねる。
「変なにおいて、お前なあ。ただの焼き芋の匂いやろ」
「いもォ?」
再び鼻を鳴らして嗅いでみる。なるほど、焦げではなく香ばしい匂いだったのか。
「へえ。焼き芋ってこんな匂いなんやな」
近頃犬化が激しい沖田に永倉は呆れるようにため息をついた。誰が言い始めたのか、狂犬という二つ名を沖田も気に入っているらしい。言われてみれば噛みついたり吠えたり犬らしさはあったものの、近頃は昔には無かったクセが付き始めていた。
「斎藤が畑でとれたんやと。そのおこぼれや」
「一ちゃんがつくってんの?!」
「」

料理上手なはじめちゃんにベタぼれするという王道話を書こうとしたけど、なんか違うとなってボツ

 

軒先に吊るされたテルテル坊主を見上げる。一体誰が屯所に下げたのやら、まだノッペラ坊の坊主は雨風で揺れていた。
梅雨に入り、雨が多くなった。天気が悪いと外出する者も少ない。勤王志士の動きも鈍くなり、見回りは楽になる。外套による蒸し暑さが無ければ、雨は歓迎だった。
「あーあー、退屈やあ」
見回りから戻って来た沖田がそうぼやく。遊びたがりな狂犬は、悪人がいない日々がヒマで仕方ないらしい。外套すら纏わずに見回りに出かけたらしい。しっとりと濡れた沖田は、身体をぶるぶると震わせて水気を振り払った。
「一ちゃん!俺と稽古しよっ」
そしてそんなことは構わず誘ってくる。悪党がいないせいで体力が有り余っているようだ。ちょうどよく顔を合わせた斎藤は腕を組んだ。
「……まずそのびしょ濡れの状態をどうにかしたらどうだ」
「んあ?こんなん、どうでもええやろ」
どうでもいいといえる範疇を超えている。もはや濡れていない部分が無いほど全身が水びたしだ。髪からは常に水が滴っている。
「濡れたまま歩きまわるわけにもいかないだろう。着替えてきたらどうだ」
いちいち手拭いで拭いてやるよりも、着替えたほうが早そうだ。
「こんまんまでもええやんけえ」
「風邪引いたらどうするんだ。ほら、部屋に行こう」
ぶうぶうと文句を垂れながら、斎藤の押しに負けた沖田は仕方なしに着替えに行った。斎藤も帰宅の準備をしようと私室に戻る。羽織を脱げば、やはり裾が湿っていた。羽織なんて着ず合羽だけでよかったなと舌打ちする。早く晴日が来てほしいものだと、羽織を衣紋掛にかけ、普段着を手に取った。
「はじめちゃん。着替えたでえ」
帯を解いている最中、からりと障子が開いた。まだ頭を湿らせたままの沖田が勝手に開けたのである。
「おい」
斎藤は褌姿だった。袴も重く水を吸っていたのでついでに脱いだのだ。文句混じりに悪態をつくも沖田は謝りもせずに中に入り、障子を閉めた。
「おう。はよ着替え」
出ていくこともせず、胡坐をかいてくつろぐ沖田に呆れて文句も言えない。
「たっく。俺はもう帰るからな」
「ええ~?なんでえ。こんな雨なんやでえ。折角着替えたっちゅうのにまた濡れるやろがい」
「そりゃあそうだが」
別宅に帰らないというのは落ち着かない。まだ幼い遥を一人で過ごさせるというのはどうも後ろめたく感じるのだ。
また濡れるのは分かっているが、新選組の羽織は乾かしておきたかったのである。
「稽古はどうなんったんや!」
「俺以外でもいいだろ」
「いやッ!はじめちゃんがいいのっ」
駄々をこね始めた沖田にため息をつく。
相手してられないと着替えの羽織をとり紐で結んでいると、無視された沖田が凶行に出た。
斎藤の袴と帯を盗んだのである。
「おいっ」
「返してほしかったら稽古せいっ」
部屋を飛び出す沖田を慌てて追いかける。まだ着つけは中途半端のままだ。いつも以上にはだけた斎藤に、駐在の隊士たちが訝しげに見送った。
本堂に逃げ込んだ沖田に舌打ちしながらも斎藤も足を踏み入れた。先客の永倉と土方が奇怪なものを見るような眼でこちらを見ている。余計苛ついた斎藤に土方が小首を傾げた。
「どうしたんだね。斎藤君。そのような恰好で」
不思議半分非難半分と言った視線を向けられた。これくらいのだらしなさは許容範囲だろうが、風紀が乱れることをヨシとしない土方としては目じりを釣り上げる要因でもあった。
「そこの野良犬に盗られたんだ。沖田、返せ」
「だってはじめちゃんが稽古に付き合ってくれんのやもの」
大体のいきさつを察した土方は目を細める。沖田の落ち着きのなさには土方も手を焼いていた。その被害にあう斎藤には同情するが、一応は稽古という大義名分がある。
「斎藤君。つきあってあげなさい」
「はあ?!」
盗みを咎めるどころか甘やかす土方に声を荒げた。
「暇に飽きて、そこらで暴れられてても困る。適当に体力を消費させてほしい」
「あんたや永倉が相手してやりゃあいいだろ」
「私はこれから野暮用がある」
本当かと疑っても顔色一つ変えない土方からは何も読み取れなかった。仕方なく永倉に目をやれば、申し訳なさそうに肩をすくめられる。
「すまん。これから見回りや」
「くそ」
他にいないのかとあたりを見回しても、この危険を察知しているのか他の気配は感じられなかった。
「それに、俺たちとの稽古は飽き飽きしとるからのお。すまんな。遊び相手になってやってくれ」
「俺は生贄かなにかか」
「まあ三本勝負くらいしたらあの狂犬も満足するわ」
納得がいかない様子の斎藤を尻目に、沖田は盗んだ袴を広げていた。まさしく犬である。すかさず土方が頭をはたいて回収し、斎藤に返す。稽古するにしてもいまの状態では気が散るだろう。
「この状態になった総司はとにかくしつこいから、なるべく早いうちに対応したほうがかえって楽だぞ」
「宥める方法は?」
「あったら私が教わりたい」
「……はあ」
土方ですらも対処不能となればもう斎藤にできることは無い。たしかに大人しく付き合ったほうが楽だろう。このまま斎藤が拒否したところで家までついてきかねない執念強さを感じる。
袴を履き帯を整えた斎藤は、木刀を片手に「稽古っ稽古っ」と飛び跳ねる沖田に息をつく。土方と永倉はそそくさと退散してしまった。――真剣でないだけマシか。そう思うことにして、狂犬の遊び相手になるのだった。

稽古が終わったのは夜遅くだった。体力が有り余っている上に新撰組内の実力者である沖田との稽古が、そう簡単に終わるはずがない。早く終わらせたくとも手を抜くことを知らない斎藤もまた意地を張り、お互いに一本ずつとってしまったのだ。ただでさえ一試合が長いというのに三試合となれば体力も尽きてくる。二人そろって汗だくになり、沖田は気合の奇声をあげた。
「はい!俺の勝ち~!ひひっ!」
「……はあ」
――やっと終わった。
勝負は沖田の勝ちだった。手を抜いたわけではない。身のこなしが軽い沖田に翻弄され、不意を突かれたのが敗因だ。腹は立つが己の実力不足がわかったのだからと自分を慰める。それにこれで解放されるのだ。早く帰ろうと本堂を出ようとすれば、滝のような雨音が耳に入った。
「うお。すごい雨やなあ」
いつの間にか雨は土砂降りに変わり、中庭には雨水がたまっている。下方にむかって川のように流れていくさまに、斎藤は絶句した。
「これ、帰らん方がええんちゃうか」
「……そうだな」
別宅の様子も気になるが、この様子では渡し船も出せない。壬生と別宅では天気が違うことも多いし、酷いことにならないよう祈るしかない。
仕方なしに頭を切り替えた斎藤は、飯を頼もうと厨房に向かう。稽古のせいで大分腹が減った。
「ここの飯って当たり外れ激しいねん」
同じく食事を求めて沖田もついてくる。
屯所の食事は隊士たちの当番制だ。器用な隊士がいれば、雑な隊士もいる。上手な奴を専任にしろという声もあるらしいが、それでは不平等がでると土方は頷かないようだった。
「そうなのか?」
斎藤はあまりこちらでは食事をしない。外で食べるか別宅で食べるかだ。
「俺が作ったほうがまーだマシってくらいひどいのがあるんやで。魚の内臓も鱗もそのまんまとかな」
「そりゃあ困るな」
下処理くらいはしてほしいと苦笑した。
厨房では丁度、隊士たちが食事の盛り付けをしていた。当番たちが入れかわり膳を運んでいく。私室を与えられていない隊士たちは本堂で食事をすることが多く、二人の稽古が終わってようやく夕食にありつけると忙しなかった。
「一番隊隊長、三番隊隊長。お食事ですか」
配膳に勤しんでいた当番がそう尋ねた。
「ああ。二膳もらえるか。自分で持っていく」
「はい。ではこちらを」
野菜の味噌汁に漬物、煮物に焼き魚と豪勢だ。これは当たりかなと二人は顔を合わせて笑う。
「はじめちゃんの部屋でたべてええ?」
「ああ?」
「一人だと寂しいんやもの」
嘘つけ。と言いたいが、そう言われては断るのは冷酷な気もした。おしゃべりな沖田が一人寂しく食事をするというのもなんだかおかしい。
「しかたねえな」
そういうことにしておいてやろう。ついでに酒でも飲むかと、斎藤は私室に置いてある酒を思い出すのだった。

 

恋愛になりそうな気配を感じられなかったためボツ

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