義兄弟パロー序章

ほんとうはお兄さんがいるのよ。そう聞いたのは母が亡くなる寸前だった。今際のときに、焦点のあわないうつろな目を天井に向けたまま、母はぽつとつぶやいた。

――にいさん?
…ええ、そう。お兄さん。前の夫が失踪したとき、一緒に連れて行ってしまったの。捜索届けも出しているのだけどね。見つからないの。

母がバツイチなのをはじめて知った。自分に父親はいない。母はろくに働くすべを持たず水商売で生きた。一夜の相手だったのか、父親がわからないまま自分を産んだ。

…どうしてつれていったんだ?
さあ。わからないわ。随分前にあの人が死んだのは知ったのだけれど、あの子は見つからないままなの。元気でいるといいのだけれど。

もう生きていないかもしれない。けれど母はそんな絶望を持ちたくはなかったのだろう。今も生きていると信じたいのだ。

――名前、なんていうんだ?
ごろうよ。ごろう。夫の名字のままなら、真島吾朗。
…ふうん。

離婚後、母は旧姓に戻ったらしい。自分と同じ名字でないから、赤の他人に感じる。
母は探してほしいとは言わなかった。ただ身寄りのない自分に兄弟がいるということを伝えたかっただけなのだろう。それきり母の容体はよくなることなく、数日後、永い眠りについた。母の働き先であるスナックの人に手伝ってもらい、ちいさな葬式で送り出すこともできた。

…かずまくん。これからどうするの。

スナックのママがそう尋ねる。ママはよくご飯を食べさせてもらったりしてくれた。まだ十四歳である自分が心配なのはわかった。母は子供を育てるのに精いっぱいで、家にはろくな金もなかった。そんなカツカツな生活だったゆえに、進学するつもりなどない。中卒で働ける場所を探していた。

――働くよ。新聞配達とか、勉強できなくてもやれることはいくらでもあるし。
…そう?こまったら、いつでもいうのよ。ごはんも食べに来ていいんだからね。お客さんに働き口がないか、聞いてみるから。
――うん。ありがとう。

桐生は中学校に通いながらもアルバイトをして生活費を稼いだ。スナックのママが後見人になってくれたので保護施設に行くことなく、細々と一人でいきた。昼夜働いてばかりの母と過ごした時間も少なかったので、一人には慣れている。ただ人一人分の生活費は思った以上に必要で、水道や電気が止められるたびにママの世話になるのが嫌でたまらなかった。早く自立したい、稼ぎたい。
そんなとき、スナックの客が乾きものをつまんでいる自分に興味がわいたらしい。仕事を教えてやると言われた。痩せ気味の中年男はそこらの人間とは違う迫力のある男だった。スナックで様々な人間を見てきた桐生にとって異質すら覚えるほどである。

――不動産の仕事をしている。みっちり働いて勉強して資格とって手足になれ。お前、タッパがあるな。もっといいもん食ってもっとでかくなれ。俺の扱っている物件は、よくねえ連中も多いからな。
…やだ。××さんたら。一馬くんを用心棒に育てるつもり?
――東城会が幅きかせてケツモチだなんだ言いはじめてきた。正直、邪魔でしょうがねえ。なんで極道に小遣いやらなきゃいけねえんだ。そのうち、ここも狙われるぞ。どーせ、親なしなんてよほど頑張らねえとヤクザもんになっちまう。だったら、俺のところのほうがまだマシってもんさ。

頬の傷は事故ではなく事件によってつけられたのだろうか。てっきりヤクザだと思っていたのだが、男は不動産の経営者らしい。ほかにも仕事をしているので手が足りてないという。

――車の免許とらせてくれるか?
――おお、いいぞ。ボウズ、いまいくつだ。
――十四歳。
――じゃあ社用車で練習させてやるよ。俺達にはアシが必要だからな。よし、明日からうちにこい。

それから数年後のことだった。男は桐生に不動産のイロハ、極道の顔、仕組み、経済、地理、暴力、マナー、多くのことを教えて死んだ。殺されたのだ。ヤクザに。神室町で羽振りをきかせていた男が邪魔だったのだろう。鉄砲玉に刺されて呆気なく死んでしまった。そこをすかさず東城会の堂島組の連中が狙ってきたのを、桐生は一人で追い払った。喧嘩には慣れていた。幼いころから片親で貧乏だったからだ。そんな境遇ははいじめの標的にあいやすく、教師も見て見ぬふりをした。
男が言っていたようにすくすくと育ったし喧嘩の腕には自信がある。それでも一人で守るのが難しくなってきたとき、うさん臭い男が現れた。彼は自分を立華と名乗った。

――桐生一馬さんですね。噂はかねがね聞いております。前の社長には私もお世話になりました。

葬式に来ていた顔だから覚えている。社長は友人が多く、様々な人が線香をあげに来た。スナックのママはもちろんのこと、同業者や裏の人間らしきものもちらほらといた。彼はそのうちの一人だった。

――私にも手伝わせていただけませんか。悪いようにはしません。約束します。
…なんでまた?何の狙いがある。
――まあ、私にも事情がありまして、社長と同じく東城会のかたがたにあまりいい思いももってません。彼らが独占するのを阻止したい。私はそのための力もありますし、やり方もわかっています。桐生さんがいてくれるのなら、それはもっとたやすくなる。
…利害の一致か。
――ええ。でも、社長が残された物件を私がいじることはありません。それはこれまで通り、桐生さんが扱ってください。共同事業、ということでいかがですか?

多くのことを男に教わったとはいえ桐生は学がない。男は高校や大学にも通わせると言っていたが、もともと勉強が好きでないし、働くのは好きだったので断った。そのおかげで資格の勉強なんてものは二度とやりたくないくらい必死でこなした。それゆえ、自分では男のようにうまく経営はできないし、いつか破綻するのも察していた。
話し方でわかる。立華は頭がいい。そして騙すならもっとうまい騙し方をするはずだと。野生の勘だった。

――わかった。いいぜ。社長ってガラでもねえしな。俺は誰かの下で働いてんのが性にあってんだ。
そうでしたか。では、よろしくおねがいしますね、桐生さん。

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