時は少しさかのぼる。滋賀に避難したあとのこと。
彼女たちが話したのは数分程度だった。おどおどしたマコトの声が聞こえるくらいで、話は弾む様子はなかったが、電話はすぐに桐生に戻された。
もっと話せばいいのにと言うも「あとは直接会って話します」と言われてはそれ以上すすめることもできない。確かに電話と対面では距離感も変わるだろう。
桐生は子機と親機をいじり、親機のスピーカーで通話できるように設定する。これでわざわざ会話を経由する必要がなくなった。
「――で、だ。マコトさんは近江と東城会の両方に狙われてるらしいんだが、そこら辺の説明をしてほしい」
マキムラマコトの早急な保護は、ただ立華が生き別れの妹を探しているだけとは思えなかった。今回の騒動の理由を必ず知っているはずである。
何事も無ければ何も聞くつもりはなかったが、こうなった以上はすべて教えてくれないと身動き取れない。
『……そうですか。東城会だけではなく近江も。ややこしいことになりましたね』
「東城会だけならあんたを脅す人質ってことで納得できたんだがな」
近江連合が絡んでいるとなると話は違う。もっと複雑な事情が絡んでいるはずだ。
『もちろん、それもあるでしょうが、彼らの狙いはカラの一坪です。前にお話ししたでしょう。堂島組が再開発を進めている土地の、一坪の所有者の話です。その所有者がマコトなんですよ』
ぱちりと、空虚なマコトの瞳が瞬く。李も同様だ。何の話かまったくわからないのだ。神室町の不動産やヤクザでなければ耳にもしない言葉など、ピンとこなくて当然である。
「……ここにいる二人に端的に話すが、まあ、神室町のヤクザが血眼で狙ってる土地のことだ。たった一坪だが億以上の値がかかってるって話だぜ」
「……その所有者が、わたし……なんですか?」
当の本人も全く知らない様子だ。だから狙われている理由にも心当たりがなかったわけである。桐生もこんな一般女性が所有しているとは思いもしなかった。
困惑するマコトをよそに桐生は頭を動かす。
土地の所有者は不明になりがちだ。相続の関係や個人間でのやりとりによって複雑化する。今回もそれが起きていたようだった。
『祖父――牧村源三が所有し、それを相続したのがマコトでした。そこまでの調べは堂島組でも掴んでいたかと思われます』
元の持ち主はすでに死亡していた。その程度ならば調査できたが、血縁者の行方まで調べ上げるのはむずかしかったはずだ。桐生ですら偶然見つけたくらいなのだ。
「なるほどな。ただ、蒼天堀にいたまではわからなかったはずだろ」
『ええ。神室町の土地の所有者なんですからね。神室町にいなくても、せめて首都圏にいると考えるものでしょう。それでも見つからなかったため、調査範囲を広めるべく近江の力を使ったと考えられますが』
「東城会と近江が同時に狙ってきたんだ。その線は薄いな。俺が見つけてすぐだぜ?話ができすぎている。立華。あんた、誰かに話したりしたんじゃねえか」
躊躇なく話を切り出す。立華も薄々察していたのだろう。少しの沈黙の後、ため息が聞こえた。
『話しました。内通者がいるとは信じたくはありません。特に、彼だけは』
「尾田か」
立華がそこまで信用する人間など指折り程度だ。特に側近の尾田相手ならばすぐに話してしまっても仕方がない。とはいえ、納得できない部分がある。
「尾田つっても、あいつ金で動くようなやつじゃねえだろ。わざわざ情報を売ったってなら、なんか理由あるはずだよな」
『そうですね』
信じたくないが受け入れるしかない状況に立華は苦々しい声をこぼした。
全くもって面倒くさい。金で動く人間ならば買収してしまえばいい。しかし、それ以外の理由ならば目的を探るしかない。立華の側近となればおいそれと排除もできない。彼の性格からして目的を知りたがるはずだ。
桐生はこつこつと指先でこめかみを叩き、重く息をついた。
「……二人ともまだ起きてられるか?」
裏切り者がいるならば早くあぶりだしたほうがいい。どのような危機が迫るのかわからない状況で神室町に行くことはできない。
あまり時間をかけることでもない。ヤクザが動いているのだ。彼らの動きは常識にとらわれない。現に桐生がマコトを知った翌日には接近してきた。ここもいつまでバレずにすむのかわからない。
李はともかくマコトの体力が心配だったが、見た目よりも丈夫らしい。しかりと頷くマコトを見て、桐生は立華に尾田を呼び出すよう頼んだ。到着したら再び電話をかけるようにと。
立華は桐生の考えを正確に理解した。このままでは妹とは再会できない。片づけるべきことがある。そしてそれは後回しにできないということを、苦々しく飲み込んだのである。
電話を切った桐生は尾田の人物像について二人に説明した。
「立華が信用している男だ。実質、うちのナンバーツーだな。おそらくあいつも中華系だろ。背丈は長身、たれ目がちで、髪の毛はウェーブがかかってる」
この先何が起きるかわからない。人相くらいは知っておいた方がいいだろう。説明するとマコトが神妙な表情を見せる。
「……」
「どうしました?」
「いえ……、その尾田さん、という人は桐生さんから見ても信用できるんですか?」
「そうだな。立華を裏切るようには見えないが、裏で悪どいことをやっててもおかしくねえ。それは立華にも言えることだが、まだ立華のほうが信用できるってところか」
神室町の人間に善性を求めるものではない。桐生の恩人ですら薄暗い気配があったのだ。尾田が情報を売っていてもおかしくはない。ただ立華の妹を売るというのは納得できないのだが。
「尾田のことも気がかりだが、カラの一坪も解決しねえとなんねえな」
「えっ。あ、ああ、そういえば、私、そんな土地を持っていたんですね」
「珍しくねえことだ。あとから発覚して遺産だどうこうと揉めるのも、不動産やってるとよく見る。今回はケースがケースなだけに厄介すぎるんだがな。それでだが、マコトさん。俺に土地を売ってくれねえか」
「……ええ?」
きょとんと眼を丸くするマコトに苦笑する。本当に盲目なのか疑わしいほど、彼女の眼は桐生に向いていた。
「マコトさんが狙われている大きな理由がカラの一坪だ。これさえ解消すればあなたの危険度はぐっと下がるはずだ。本当ならとっとと立華に渡すべきだが、むこうもきな臭いからな。すぐに解決できるとも思えねえし、一先ず俺に移動しちまったほうが安全だと思う」
「……はあ」
まだ事態を飲み込めていないらしい。それもそうか。生き別れの兄と再会する矢先に飛び込んできた情報である。守銭奴でもなければ喜べたりもできない。
「もちろん、マコトさんが直接立華とやりとりしたいとか、土地をつかいたいってなら話は別なんだが」
「いえいえ!とんでもないです!それがあると、私、ヤクザに狙われるんですよね?!いりません、そんなの!」
「そうか。つっても名義変更の書類がたりねえから、今すぐできるもんじゃねえんだけどな。とりあえず売買契約だけやっちまうか」
権利証や本人確認等の書類もないし、法務局への提出もある。数か月たってようやく桐生所有となるが、そこまで時間をかけてはいられない。契約だけならばこの場で出来るため、桐生は手早く書類を用意した。
「金額だがいくらがいいです?それなりの金は用意できますが」
「そういわれても……私、お金とかあまり興味なくって」
「興味は無くてももらえるもんはもらっておいたほうがいいですよ。マコトさんの目だって、他国の先進技術で回復するかもしれないんですし、そうなれば高額の治療費が必要でしょう」
まだ日本では導入されていない技術や保険が適用されない技術は多い。当然それらには大金が必要となる。いくらあっても足りないほどの途方もない金が手に入るチャンスなのだ。もう少し強欲になれと桐生は目を細めた。
「ま、決まらねえのは仕方ねえな。とりあえず小切手は渡しておくから、使い道ができたら書いておいてくれ。ここに名前書けるか?悪いな。ちょっと触るぞ」
マコトの手をとり、ペンを握らせて書類を差し出す。法が絡むものは山のような書類をかき集め、いちいち署名しなければならない。後々のトラブルを避けるためとはいえ、いくら万全に用意しても騒動が起きるのがこの仕事の面倒なところだ。
なんのためらいもなく署名するマコトをよそに、李はじっと売買契約書を見つめていた。怪しむというよりは珍しいものとして見ているらしい。桐生の視線に気づいた李は感慨深そうにうなずいた。
「お前、ほんまに不動産屋やったんやな」
「俺みてえな弁護士もいくらでもいるぞ。なよなよした奴は神室町で仕事できねえからな」
少しでも隙を見せれば舐めてかかられる。桐生も強面と自覚しているが、他の不動産屋も似たり寄ったりだ。自分だけが不動産屋らしくないと言われるのは釈然としないが、これでつまらない羽虫がはらえるならば楽でもある。
「……李。あんたのツラ、近江に割れてるのか?」
「さあな。でも知っとるやつもそこそこおるんちゃうか」
「あんたはでけえし、マコトさんは杖があるしで目立つんだよなあ」
「せやなあ。桐生。お前がもっとるヤサ、他にどこがあんのや」
「あちこちにある。それこそ近江や東城会の手が届きそうにない場所もな。そこに隠れるにしても、道中にみつかっちまったら意味ねえだろ」
それもそうかと李は顎をしゃくった。
「書けました。書けてますよね?」
間違えた場所に記入していないかはマコトでは判断できない。桐生は一瞥し、問題ないことを認めた。
「ああ。とりあえずこれでマコトさんの危険は減った。ただ、マコトさんは立華の妹だ。そこを理由に狙われる可能性も少なくないから、まだまだ隠れてもらわなきゃなんねえな」
「あの。兄はそんな危ないことをしているんですか」
ただの不動産屋が命を狙われるとは到底思えないのだろう。不思議そうなマコトに桐生は眉尻をさげた。
「危ないことをしているし、神室町で商売しようとすれば付きまとう危険だ。といってもヤクザもスジってもんがあるらしい。基本的にカタギや身内には手をださねえって言うが、今回は大金が絡んでる。躾のなってない下っ端が強引な手を使うことも考えておかねえとな」
ヤクザ相手だ。少し心配しすぎる程度でちょうどいい。

※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます